こんにちはー 駆け出しブロガー、らーきいです!
今回は2009年8月のリリース、B’zの46枚目シングル、「イチブトゼンブ/ダイブ」のB面の収録されたNational holidayを独自に解釈し、解説します! この時作詞の稲葉さんは44歳。
(以下の太文字にあたる部分は出典: National holiday /作詞:稲葉浩志 作曲:松本孝弘 からの引用です。)
だらだら過ごしたら
あっというま昼過ぎ
スケジュールはガラ空き
今日は国民の祝日
なんかある意味B’zっぽくない(なぜでしょう、普段のいかにもみんながみんな感じているような庶民感覚(?)や”国民”なんていうワードを全面的に出してくる楽曲がB’z的には珍しいからかもしれません)誰もが感じる”休日あるある”からのスタートです。予定入れてないと”すでに正午を回っている”というのは本当にありがちですよね
誰かに出しぬかれ
遅れをとるのはやばいと
心配ばかりしてたら
体がおかしくなった
”少しでも誰かより得しないと!”とか”みんなが走っているのに自分だけで遅れたくない”みたいな感覚はもうみんなが持っているものです。でもそんなストレス社会でシャカリキになっていたら”あれ、なんか不調になっちゃった?”という話でしょうか。
何も考えずに 服を着がえて
事前の電話もせず
君んちに寄って (怒らないで)
遠くの街でも どこでもいいから
まるで運まかせで
出かけてみるよ (いいじゃないか)
驚いた顔を見たとたん
すばらしい日になる気がした
誰かを出し抜く、なんて考えはもう抜き。自分の心に正直になって行動したいって、思ったのでしょう。だから約束もなしに君の家に直行。どうか怒らないで、これが俺の素直な気持ちなのだから。
予定も計画も抜きで一緒にどこか行こうよ、全部運任せで。でもそれでも君の驚いた反応は今日が”すばらしい日”になることを予感させるには十分だった、と伝えていますね。
ぶつかるほど混みあう
ショッピングモールも良しとしよう
そして連れだって来たのはショッピングモール。この人の多さにはさすがにマイッタ、、、がそれも許す、だってみんなのナショナルホリデーなのだから。
酷い事件をなくす力は
僕にないけど
死ぬより生きる方が
いいもんだと気づいてる
この歌詞は1国民の立場からでしょうか、それともロックスターであるB’zとしての立場からでしょうか。どちらにしても次々と起こる痛ましい事件をなくすことはできない。悲しいことはどうしても起こってしまうけれどそれでも死ぬか生きるかを問われたらそれは生きるほうがいい、ということでしょう。
並んでる車に 信号待ちのワゴン
窓ガラス越しに 家族が笑う
(なんか歌ってる)
わが国の民の 十人十色のライフ
歯をくいしばって 幸せを目指す
(みんな頑張る)
愛しい景色は意外にも
自分のまわりにころがってる
多くの家族が
幸せを実現しようとしているその過程こそ愛しい景色であり、それ自体が後の日の幸せとなるのかもしれませんね。
ラランララン… ボクをまた知る
ラランララン… キミを見つける
蒼く染まりゆく 空に星が出て
止まりそうになる程
ゆっくり歩いた (手をつないで)
その日の全てが
気分よかったんだよ
神様がいるなら 感謝したいよ
(どうもありがとう)
気持ちひとつで
新しい扉が開けるんだろな
なんかすごく個人的には共感できる締め歌詞だな、と思います。確かに一日が充実して、夕焼け空や夜空が綺麗だったらすごく気分がよくなって感謝したい気持ち(生きててよかった!的な)になることはよくありますよね。歌詞の通り、気持ち一つで新しい可能性が開けていくというのは本当だなあ、と思います。
冒頭にも書いたとおり、B’zが”国民”的な概念をもってきて曲を出すのは珍しいのかな、という印象を受けます。というのもやはりイメージとしては彼らのロック的な音楽やビジュアルなどにも象徴される通り、どこかの国的な概念を引っ張るならアメリカやもしくはイギリスといった西洋国概念が中心で”日本”を押し出してくることはなかなか予想外だからでしょう。だからこそ楽曲名を”国民の休日”ではなく”ナショナルホリデー”と英訳しているかもしれませんが。
しかしながら個人的にはそのB’zが国民の休日の一日を歌ってくれることにはとても親近感を覚えるというものです。ほのぼのとした庶民的なお休みの1ページ、聞いていてとても安らぐ歌詞ではないでしょうか。
この記事が面白かったら下のバナーをポチっと!
にほんブログ村
コメント