こんにちはー 駆け出しブロガー、らーきいです!
今回は1992年12月にリリースした4作目のミニ・アルバム「FRIENDS」に収録されている「いつかのメリークリスマス 」を独自に解釈し、解説します! この時作詞者の稲葉さんは28歳。
この楽曲自体シングルでないながらもかなりの知名度を誇る名曲です。
そしてこのアルバム「FRIENDS」なんですが、本作はアルバムに収録される全楽曲で1つのストーリー性を持たせたというコンセプトアルバムというものになっており、その内容は「回想」「再会」「葛藤」「解決」のシーンからなる一連のラブストーリーで、アルバムタイトルである「FRIENDS」がストーリーのテーマにあたる、というものなのです。
アルバムについて松本さんは、「映画のサウンドトラックのようなアルバムを作りたかった」と述べています。楽曲の作詞について稲葉さんは「全ての楽曲の歌詞は飛行機での移動中に4曲同時進行で書いた」と語っています。(by Wikipedia)
そんなわけでブログ主の解釈シリーズもここから4連続で「FRIENDS」に収録される歌詞付き楽曲4曲の解釈をしていきたいと思います! 構成は「回想」:いつかのメリークリスマス、「再会」:僕の罪、「葛藤」:恋じゃなくなる日、「解決」:どうしても君を失いたくないで、インストルメンタル楽曲としてFriends, Love is…, SEASONS, いつかのメリークリスマス(Reprise), が各所に入るという感じです。ぼくのブログでは歌詞付きの楽曲にフォーカスしていきますね!
さて、まずはストーリーの「回想」にあたる名曲「いつかのメリークリスマス」、その内容を一緒に観て行きましょう!
(著作権の関係により歌詞の表示が基本的にはできません。 以下の太文字””くくりにあたる部分は出典: いつかのメリークリスマス /作詞:稲葉浩志 作曲:松本孝弘 からの引用です。)
1番メローA
ゆっくりと12月のあかりが 灯りはじめ
慌ただしく踊る街を 誰もが好きになる
「回想」の始まりです。タイトル通りですが、クリスマスの思わせる12月です。「ゆっくりと」「灯りはじめ」という表現で、過去の話をしていながらあたかもこれから物語が始まるような連想させます。とても上手な表現ですね。
12月が忙しいのは多くの人にとって同じかと思いますが、「踊る街」という言い方をすることであたかも主人公の気持ちは忙しいながらもそれを楽しんでいる、うきうきしている、というような印象付けがされています。
1番メローB
僕は走り 閉店まぎわ 君の欲しがった椅子を買った
荷物抱え 電車のなか ひとりで幸せだった
急ぎ「君」のためにプレゼントを買う主人公、誰かにプレゼントを買うとそれを受け取った当人の喜ぶ表情やしぐさを想像して買った本人も幸せになってしまうものですね。
さて、数あるプレゼントから「椅子」を選んだ主人公ですが、もし恋人に対してであれば装飾品やジュエリー、アクセサリーなど無難に選んでしまいそうなもの。しかしここでは「椅子」です。
なぜかといえば二人が恋人同士としてもすでにかなり近い距離であることが含まれているからでしょう。つまり一緒に住んでいるであろう関係、もし同居しているのであればどんな家具を置きたいか、どんな住環境で一緒に過ごしたいか、というような話もするものです。
ここではプレゼントに「椅子」を選ぶことで二人の関係の深さを示唆するという高度な歌詞表現となっているのです。
1番サビ
いつまでも 手をつないで いられるような気がしていた
何もかもがきらめいて がむしゃらに夢を追いかけた
喜びも 悲しみも全部 分かちあう日がくること
想って微笑みあっている 色褪せたいつかのメリークリスマス
サビです、「気がしていた」という言い方から、今の回想において過去に自分がそうなると思っていたことが実際には実現しなったという事実が示唆されています。この部分も含めて解釈は後半のサビに譲ります。
2番メロ
歌いながら線路沿いを 家へと少し急いだ ドアを開けた君はいそがしく
夕食を作っていた
誇らしげにプレゼントみせると
君は心から喜んで その顔を見た僕もまた 素直に君を抱きしめた
ストーリーは進行します。プレゼントを買い上機嫌な主人公、玄関を開けた先には「君」が夕食を作っています。その場でプレゼント渡すということは、この日がクリスマス(イブ)だったのかもしれませんね。
「君」は思った通りとても喜んでくれました、そしてその思いは主人公に伝わり、二人は絵にかいたような幸せな関係をみせてくれます。
いつまでも 手をつないで いられるような気がしていた
何もかもがきらめいて がむしゃらに夢を追いかけた
君がいなくなることを はじめて怖いと思った
人を愛するということに 気がついたいつかのメリークリスマス
1番のサビと合わせ解釈していきます。「いつまでも手をつないで」いられる気がしていたということは、実際にそうならなかったということ。この先のどこかで二人は終わったのです。ただこの時はすべてがキラキラしていた。
主人公は同時に夢を追いかけていた、それもがむしゃらにです。
1番サビでは”喜びも 悲しみも全部 分かちあう日がくること”を二人で願っていたということでした。2番では主人公が”恋人を失う恐怖を実感し、それと同時に人を愛する”感覚を理解したとあります。
強く心に刻まれた日だったのでしょう。なので昔を回顧している現在の主人公も「そんな日があったな、確かクリスマスだった、、、」と認識しているわけです。
間奏
部屋を染めるろうそくの灯を見ながら 離れることはないと
言った後で 急に僕は なぜだかわからず泣いた
一緒にクリスマスを祝ったあとにくつろいでいるのでしょうか。「離れなることはない」と誓ったあとで泣いてしまったのはなぜなのか。本人にもわかりません。
この部分についての考察ですがブログ主は”主人公自身も認識していなかったが、ある意味「離れない」と100%約束できるだけの自信がない、そういう環境ではなかった”のではないかと思っています。
ポイントですが”がむしゃらに夢を追いかけた”とすべてのサビで表現されています。それがどんな夢かはわかりませんが順当に考えると主人公の職業やキャリアに絡むものかと思うのです。そうなれば2人で自営業でもやっていない限り「君」が直接関与する夢ではありません。
本当に大事なものがあったら2つは選べない、世の中にはそれほどに時間や努力を要する世界もあるとしましょう。もし”がむしゃらに追いかける夢”が本当に大事なもので、「君」よりも大事なものだったら、主人公はどっちを取るのでしょう? きっと「夢」を取ってしまうのではないでしょうか。
そんな見えない未来の選択を無意識に想像して、もしくはそんな予感を抱えていて、それと同時に「離れることなない」という誓いを破ってしまう状況についても無意識に考えてしまったのではないでしょうか、だから泣いた。そんな風に解釈しています。
いつまでも 手をつないで いられるような気がしていた
何もかもがきらめいて がむしゃらに夢を追いかけた
君がいなくなることを はじめて怖いと思った
人を愛するということに 気がついたいつかのメリークリスマス
立ち止まってる僕のそばを 誰かが足早に
通り過ぎる 荷物を抱え 幸せそうな顔で
この話は回想の話、過去形で語られているように、二人の関係は一度終わったということです。最後の表現ですが、「立ち止まっている僕」=「過去(君)を見てしまい未来の事が見えなくなっている僕」、それに対し目の前には「かつての自分のように恋人にプレゼントを買って幸せになっている誰か」=「今と未来を楽しんでいる自分の周りの人々」、が対比されています。もちろん強調されているのは現実から置き去りにされている主人公、「僕」です。
あの時”がむしゃらに追いかける夢”を選び、進んでしまった結果なのでしょうか、はっきりとは分かりませんがブログ主の解釈はそうです。そして今主人公は大きな後悔を抱えているように映ります。
解釈に大きな難のあるところは特にありませんがアルバム「FRIENDS」の物語は過去と「君」を忘れるこのとできない主人公の強い未練の想いからスタートします。
果たして主人公はこれからこの先の見えないトンネルを抜け出すことができるのか、次の解釈では「再会」を示す二曲目、「僕の罪」を解説していきます。
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