B’z 楽曲レビュー#25 / ねがい 歌詞の意味を独自に解釈&解説!

B'z 楽曲レビュー

こんにちはー 駆け出しブロガー、らーきいです!
本日は1995年5月にリリースされたB’zの16作目のシングル「ねがい」を解説していきます!

なお本作よりプライベート・レーベル「Vermillion」が発足しました。このVermillionとは大手レコード・アーティストのマネジメント事務所であるビーイング傘下の事務所でB’zの個人事務所ですね。この時稲葉氏は29歳。

ねがいはジャズの要素の入ったカッコいいイントロ、ピアノの音が耳に残ります。全体的にはジャズロック風という感じでしょうか。最初この曲のタイトルは古語風に「ねがひ」にしようと稲葉氏は考えていたようですが、周りのアドバイスで今のような普通のひらがなになったらしいです(By Wiki)。古さを感じさせない曲ですが、どのように「ねがい」を表現した曲なのでしょうか、早速見ていきましょう!

(著作権の関係により歌詞の表示が基本的にはできません。歌詞をつけての翻訳・解釈はこちら(楽天ブログ)でしておりますので是非どうぞ! 以下の太文字””くくりにあたる部分は出典: ねがい /作詞:稲葉浩志 作曲:松本孝弘 からの引用です。)

1番メロ

最終電車に揺られる主人公、さてさてどのような状況でしょうか。

「最終電車」ですんで、遅くまで何かに打ち込んでいた?となると仕事か友達と飲んでいた、というところでしょうか。

ちょっとダーク目のトーンから察するに遊んでいたわけではなく真っ当にお仕事してたらすでに終電、へとへとになって乗り込んだ「俺の人生一体何なんだ?」ということかと推察します。

そんなこんなで車内の手すりも不快な感触、いやになりますね

短い夢の中に登場する思い切り冷たい「オマエ」、一体誰なのでしょうか(後述します)

主人公がいるのはまるで迷路のような場所、でもこの帰結は決して「いつのまにか=勝手にそうなってしまった」ものではないんです。自分でやりたいと思って、自分で選んできた歩いてきた場所、それが今立っている場所なんですよね。だから最終電車に乗っている今の自分は「最初に志を持った場所」と「願いが叶う場所」の中間地点にいる、ということを示唆しています。

1番サビ

「ねがい」があります。僕にも、君にも。それを叶えるのは自分自身、そうなるようにするにはそうなるように生きる事だ、と説いています。

2番Aメロー1

2番です。「笑えないテレビを捨てて家出の準備をする」、これを流れに沿って解釈するのであれば「面白くもないこの今を脱出したければ旅にでる(=安全なところから出て行って、獲物[自分の夢]を狩りに行こう」というような感じでしょうか。


2番Aメロー2

深い比喩が続きます。世間をののしる、とはつまり自分自身で挑戦や行動する事をやめて、世間や社会といった「どうにも変えられないもの」に対して文句やばっかりいっている、そうなればもう何も新しいことはできなくなったまるで「ご老人」のよう、という風に聞こえますね。

そしてまた現れる「オマエ」。とびきりの美女でしょうか、その胸で窒息とはまるで天国! しかしその「オマエ」、誰なのでしょう?(後述!)

2番Bメロ

誰のためでもない、そう、「自分のため」です。なぜ熱い涙を流しているのか? 苦しいから? 報われないから? 「ねがい」を叶えるための道のり半ばだからということを示唆していると思います。

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