B’z 楽曲レビュー#13 / MY LONELY TOWN 独自に解釈&解説!

B'z 楽曲レビュー

こんにちはー 駆け出しブロガー、らーきいです!
今回は2009年10月リリース、B’zの47thシングル、MY LONELY TOWNを独自に解釈し、解説します! この時作詞者の稲葉さんは45歳。

この歌の全編に共通するテーマは「孤独」、まさにLonely townに生きるそれぞれの「個人」を描いた歌です。

これほど人間の本質に迫り、そして重たいテーマをシングルにしてしまうとはさすがB’z、、、それでは早速歌詞を見ていきましょう!

(著作権の関係により歌詞の表示が基本的にはできません。歌詞をつけての翻訳・解釈はこちら(楽天ブログ)でしておりますので是非どうぞ! 以下の太文字””くくりにあたる部分は出典: それでも君には戻れない /作詞:稲葉浩志 作曲:松本孝弘 からの引用です。)

1番メロ

非常にシンプルな情景を思い起させます。明かりの元に集まったのは友人たち、明るく談笑します。

しかし、どのような繋がりがあろうとも人間とはバラバラな生き物であり、相互を完全に理解することは不可能だ、というのです。

1番サビ

1メロの情景を補足する歌詞、人はみな一人で歩いている、ということを強調します。

そして特別な誰かに巡り合えることはその人の人生にとっては素晴らしいイベントなのだと。月に照らされる「My lonely town(僕の孤独な街)」とは場所を指すのでしょうか? それとも何かの比喩か、詳しくは後述していきます。

2番メロ

「共感」という感情があると思います。他人が感じている感情を同じように感じる、同じ感情を共有する、ということです。しかし「共感」を達成するには少なくともその人の立場に立ってみようという努力が必要であり、手間や時間を要することがあります。「微妙な情」とは、さりげなく感じてしまう思い。さりげない感情なだけにそれに気づこうとするには人それぞれにやはり注意力や思いやりが必要であり、すぐに気づくことができない事も多いでしょう。それは私にも、あなたにも、すぐ外の道をあるいている知らない他人にも、すべての人に言えることです。妻、夫、恋人、子供といったごく近い存在であったとしても、目の前にいる近しい人の思っていることに気づくことができない。そう、なぜなら人という生き物は結局は「一人」なのですから。

自分本位であればあるほど相手は自分の気持ちに気づかない「雑な」人だと感じ、同時に相手も全く同じことを思っている。人間関係の皮肉を見事に描いたフレーズですね。

2番サビ

「ひとりではもう耐えられない」ここでいうひとり、とはどんな意味でしょう。家族がいない、恋人がいない、そうかもしれません。しかしこの歌詞ではむしろ「親しい誰か」がいるという状況も含んでいるのではないでしょうか。上述の通り、「人は一人」なのです。身近な人間がいようともその絶対的な事実に気づいてしまった人間は上で述べた”人間として逃れなられない事実”に対して「耐えられない」と叫んでいるのかもしれません。

「叶わぬ恋」とはむしろ深い人間関係のスタートにも立てなかった、失恋という悲しい感情を伴いますが、上記のような”絶対的な人間の孤独”に気づいてしまった時の感情はより哲学的であり、それを「鈍い想い」と形容しているかと思います。「さまよう心」とは孤独を実感している自分自身の心ではないかと解釈しています。

間奏

ここまでの歌詞解釈から「人間は一人である」ということが強いメッセージとして確認できるかと思います。人とある程度合わせていくことは可能でも、完全に合わせることはできないということ。だからその「合わせられる部分」を「わずかに共鳴できること」としてそれで他人となんとか繋がってことができるんだ、というわけですね。

次ページ:実に深い歌詞、後半はラストサビから総まとめへ!

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