冬の海辺をあてもなく歩いて
二人で貝殻集めて
人もまばらな橋の上のベンチで
いつまでも波音を聞いている
恋人同士のようである、があきらかにうまく行っているわけではないのです。
それも当たり前です、片方に別の思い人がいるのであれば、そうでないとしても真剣な恋愛関係に発展させるかどうか、遊びの恋愛関係から進ませないのか、そこで二人の意見が食い違うなら普通の恋人同士のようにはしゃげるフェーズは最初だけだろうな、というものでしょう
言いたいことがからだの奥で
渦巻いてるけど
言葉にできないそのことに
今はいらだつこともないよ
WE WANT LOVE
上記の背景を踏まえれば主人公としては一体何が言いたいでしょう?
もし彼女が真剣な恋愛をする気がないなら、どうして自分を選んだのか、本当に真剣な恋愛にしていくことはどうしてもできないのか、それではこれからどうしていこうと考えているのか?
こんな風に考えてなんとか関係を変えようとしているのかもしれません。以前はそのおもはゆさに苛立っていたけど、もう今に至ってはそんなフェーズも通り過ぎたということでしょう。
We want love、とは”俺たちは愛がほしい”と上記で書いた通りです。主人公は愛が欲しいし、「君」も決して愛を受けられるような人間関係ではない、もし仮に「君」に別の相手がいたとしたらまともに愛を受け取れるような関係ではないのかもしれないし、主人公との新しい関係にそれを望むこともできないのかもしれません。
うつむくしぐさに孤独の疲れが
見えても何もできなかった
ひきずることでも突き放すことでもない
曇った気持ちを抑えてる
彼女も孤独を感じていますが何もできません、いずれの状況にしてもそのような環境だからです。
今一度、考えうる可能性を整理してみましょう。
♯1.彼女は既婚である
♯2.彼女は本命の彼氏がいる
♯3.別に他の男がいるわけではないが、何かしらの理由(人生に疲れた、人間不信、病気、などなど)で本気の恋愛に足を踏み込めない心境である。
歌詞に「孤独の疲れ」とありますので、上記の♯1,♯2は少し可能性としては薄くなるかもしれません。とすれば♯3で何か心の病に近い精神状態かもしれません。もしそのような状況であれば彼女の事を「ひきずることも、突き放すこともできない」という歌詞も理解できます。
そういった事情で主人公としても彼女と宙ぶらりんな関係を続けていくしかない、という状況と推察されます。
昔によく似た日々が続いている
ワインを飲みながら踊って
君の部屋のソファーにもすわった
でもけっして昔と同じじゃない
上記の表現ですが、恋人同士だった昔の様、でも昔と同じではないというものよくわかります。
当然かもしれません。その部屋の主である「君」の心の様子は彼への対応も含め昔とはかなり違う心持ちになっているわけです。
ほんの少し 離れて歩く傷つかないように
ほんの少し口数を減らしてる
大事なものなくさないように
距離が近すぎたら、何がおこるのか? はっきり口にしたら何が起こるのか?
微妙な今の関係は一気に破局しかねない、ひょっとしたら他の人間も巻き込んで、、、
今彼女がもっているもの、そして微妙な心の安定、それはそれで彼女だけでなく主人公にとっても大切ということでしょう。
IN YOUR LOVE
冷たい風が僕らを近づける
くすぶる想い見透かすように
強い戸惑いを意味のない笑顔に
すりかえてまた戸惑う
距離が近づこうとしているけど、でもそのまま近づけない。
それはが心の壁なのでしょう。
どう乗り越えたらいいのか、戸惑う以外には答えが出せない。
それくらい彼女の考え方や精神は侵されており、主人公にはどうすればよりよくなるのかわからないということだと思います。
小さな貝殻にひとつずつ絵を描いて
おもいでを砂に埋めてゆく
遠くで響いてる鐘は何かの
終りと始まりを告げている
ここで出てくる貝殻は冒頭の一番で歌われていた海辺で集めた貝殻でしょうか。
その貝殻に一つづつ思い出となっている絵をかき、砂に埋めていく。
これは今までの二人の思いでを清算し恋人として関係をこれで終わらせる、という主人公のけじめに聞こえます。
鐘の音は「君」との関係への区切り、恋の終わりと次のフェーズの始まりを意味しているかのように聞こえます。
恋という形のために
壊れるものがあること
知っているのに会いたくなるのは
恋だから 愛だから それとも
恋という形にはできない、そうなると壊れる。どうして?
一体何が壊れるというのか、記述した既婚者・本命彼氏説では当然、彼女とその夫(もしく彼氏)との関係です。
ですがおそらく、ここで壊れるものとは彼女の心や精神ではないかと思います。
複数のシナリオを可能性として挙げましたが、それらの仮説のうち、僕のブログでは次を本命説としましょう。
ブログ主の本命説
「いつかのメリークリスマス」の時に彼女は主人公に対し本気で恋をしていたが、彼は夢を取ってそれに全力を傾け、彼女とは距離を取る決心をしました。もちろん彼女とは話し合いの上だったと思いますが、主人公に振られてしまい結果として精神的には大変大きなダメージを受け、それ以来彼女は本気で誰かを愛することを怖がるようになってしまった。そしてそのまま「僕の罪」の時に主人公から再び会いたいとの連絡をもらい、また微妙な関係がはじまったのですが、一度本気の恋愛を失った恐怖から今だに真剣な関係に踏み込むことができない。ましてや一回自分を振った主人公に対して再び真剣な愛情を恐ろしくて注ぐことができずにいる。彼女はそんな心境ではないかと思います。
WHAT IS LOVE?
僕らが追ってる夢は本当は
同じものかもしれないけど
恋はいらないとつぶやく僕は
ただのひとりよがりだろう
彼女は失ってもダメージにならない恋を求め、主人公は真剣な関係となる愛を求めています
だから主人公にしてみれば二人にとっては行きつく先のない「遊びの恋」(彼女の望んでいる関係)はいらない。欲しいのは彼女との「真剣なる愛」。
でもそんなことを言っている僕の心持ちこそ、独りよがりだろう、と思っています。同時に彼にはかつて自ら彼女を手放してしまったという大きな負い目があるのです。
真夜中 舗道で突然その腕を
組んできた君はとても綺麗で
そのまま僕はじっと空を見上げてる
恋じゃなくなった日の空を
さて、そして最後のこのシーンです。このタイミングは前のページでも述べた通り、海辺をあても歩く冒頭ではなくそれよりもっと以前のタイミングの描写、もしくは冒頭の海辺を歩くタイミングよりもっと後のタイミングの描写だと思います。
というのは「恋じゃなくなった日」だと認識したという事は、#1)「恋」ではなく「愛(真剣な恋愛)」を意識した、#2)「恋」自体を終わらせる決意をした、どちらかのタイミングに他なりません。
この後の「どうしても君を失いたくない」の解釈まで考慮するのであれば、このフレーズはおそらく彼女に対し「彼女との恋愛を諦めた(つまり上記の#2)」日の空だと考えています。張り詰めた空気と彼女の美しさ、その間にただようもやもやとした混沌を振り払い、その彼女との関係をきっぱりとあきらめ、次のステージへの決心を空に見たのではないでしょうか。
気付くか気付かないか、じっくり聞かなければおそらく気づけないと思いますが、この楽曲は微妙ながら確実に心に刻まれた痛みを表現した歌詞、そして一連のストーリーの一部です。
「いつかのメリークリスマス」でおそらくは夢を追いかけて、彼女と別れた主人公、その夢に疲れを感じ、彼女に再会する事ができたと思ったらもう彼女は真剣な恋愛ができないほど大きな心の傷に悩んでいて、責任の張本人である自分はその傷を癒すことができなかった。
自分自身が夢を「壊さない」ように彼女から離れた結果、今度は彼女に近づくことで「彼女が壊れてしまう」何かがあるという事実。壮絶なカルマ(因果応報)といえましょう。
などなどと考察しているうちに、”というか28歳の若者に書ける歌詞群なのか、、、これ。”と思い始めたブログ主です。
次回、「どうしても君を失いたくない」に続く!
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