B’z 楽曲レビュー#35 / 裸足の女神 歌詞の意味を独自に解釈&解説!

B'z 楽曲レビュー

実は2メロを熟考の上で実はもう一つ解釈があります:

2番メロA(どこまで走れば~ 求めさまよう

これは1番の流れから引き続き主人公目線で女性の見つめているのではない、という解釈です。

メロA,Bとも女性視点ではなく、主人公視点としてとらえます。つまり主語を全部主人公としたものです。具体的には次の通り:

「君」への強い片思いを抱え、その行き場のない想いを”どこまで走ればあの人(君)に会える”と表現、 自分でも知らずに自分が受けることのできる優しさを追い求めます。

2番メロB(Oh はかないだけ~ よっぽどいいから)

そんな主人公の彼女への片思いは失恋したばかりの「君」の前で見せる事はできません。でもそんな強がりをし続けるくらいなら、「君」の事はさておいて誰でもいいから自分がアプローチできるような誰かに抱き付けばいい。

情けないヤジばかり飛ばすだけの暇人”の事を全く行動できずに言いたいことだけ言っている人、という意味で自分自身に例えています。全く行動できずにグダグダとヤジを飛ばしているくらいの暇人をやっているくらいだったら、少しでも行動できる方がよっぽどマシだ、と言っていると解釈できます。

これはすべて主人公の心の内で言っていること、つまり自分自身に対して「自分の気持ちに素直になって、今は傷心であっても”君”にアプローチするべきだ!」と奮い立たせている歌詞とも取れます。

で、どっちの解釈が正しいの?

さて、2つ解釈をならべましたがこれはどっちをとっても違和感がないと思っています。正直ブログ主には判断できません。皆さんはどう思いますか? まあ、作詞者の稲葉さんならご存じだとは思いますが、、。

余談! Chat GPTに訊く!

自分でも2番の解釈は迷いに迷ってChat GPTにも意見を求めてみました。質問文と回答は以下の通り:

質問:B’zの裸足の女神の2番の歌詞の意味を教えてください

GPT回答:B’zの「裸足の女神」の2番の歌詞は、以下の通りです(一部省略あり):

目には 映らない 自分を見失いがちな夜 声にならない 感情に 蓋して生きてきた日々 誰もが たどり着きたい 素顔の愛だけが それでも 見失わぬように 闇を照らし続ける

この歌詞は、人が自分自身を見失いがちな時期や状況、感情を隠して生きてきた経験を歌っています。しかし、自分自身を見失わずに生きるために、素顔の愛を求め、それを信じていることが大切だと歌われています。

「裸足の女神」は、自分自身を裸足で地につなぎ、自然と向き合うことで自分を見つめ直すことができる女神のことを歌った曲であり、自分自身を見失わないためのメッセージが込められています。

、、、、なんか合ってるような合っていないような、、 少なくとも男女関係については見えていないようにみえます。気になったので2番だけにとらわれず次の質問をし直してみました。

質問:B’zの「裸足の女神」の意味を教えてください

GPT回答:B’zの「裸足の女神」という曲は、具体的なストーリーやメッセージがあるわけではありませんが、一般的には「自由と解放」、「夢や希望」、「苦難を乗り越えた勝利」などをテーマにした曲として捉えられています。

タイトルの「裸足の女神」という表現自体にも多様な解釈がありますが、一般的には「素足で自由に歩く女神」というイメージがあります。歌詞にも「裸足でどこまでも行こう」「自由になって羽ばたくのさ」といったフレーズが登場し、束縛から解き放たれて自由になることを歌っています。

この曲は、B’zのメンバーである稲葉浩志さんが作詞・作曲を手がけたもので、個人的な経験や感情が反映されているとされています。具体的には、稲葉さんが苦難や困難を乗り越えて自由になった経験が歌詞に表現されているとされています。

なんかいよいよツッコミどころが増えてきました。「素足で自由に歩く女神」というイメージとは一体!? 「自由になって羽ばたくのさ」というフレーズもどこにもないであります(笑) やはり現時点ではAIに歌詞の解釈はどうも難しいようです。笑いは取れるかもしれませんが(笑) ちょっとこれ以上Chat GPTにご意見を伺うのはとりあえずやめておきましょう。

次ページ: ラストサビとブログ主のさらなる解釈!

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