2番サビ 1 “むなしいBlue~
それでも光をさがしている”
2番サビ 2 “むなしいBlue~
景色は少しずつ変わってゆく”
諦めと絶望感を「虚しいblue」と表現してしまいます。同時に若い頃抱いていた想いは「蒼く光る時代」、どちらも青い色ですが今となっては「光は色褪せてしまった」と言う事なのでしょうか。
道は閉ざされてしまいもう夢は潰えたように見えます。消沈や悲しみの原因が分かったとしてもその事実を覆すことはできません。これ以上進むことはできない。
もちろんどんな夢かにもよりますが、どこかのタイミングで「諦めるしかない」と思う瞬間はくるでしょう。そして起こってしまったことは事実として認め、自分自身で請け負っていくしかありません。もう後戻りもやり直しもできない、そう言っています。
そして責任はすべて自分にあるのだと。一体ここからどうすればいいのか、自分はこの永遠のスランプから救われるのか、誰かが助けてくれるのか、「光」はないのかを問いかけます。
もし半歩でも進めるのなら、、、本当に景色は変わるのでしょうか?
ラストサビ”光を求め~”
「光」はある。やはりこの歌詞で最も重要なのは最後、曲調がガッと変調したこの大サビだと思います。
ここまでどうしても自分の夢がかなわない、足りないモノだらけの現実を実感する嘆きと苦悩をひたすらに表現する中で、ついにその泥沼のような状況に光が差すという事態が起こります。
それは自分の夢や願いが叶う、という事ではありません。ですがそのあなたの頑張り続ける姿が「誰かにとっての光となる」ということに気づいた、という事なんです。つまり自分がひたすらな努力は結局自分の満足いく形で花開くことはなかったが、それは無駄にはならなかった、なぜなら私は後進へ「影響を与えることができた」のだから。
自分の夢を次の世代へ紡いでいく、そして次の世代が自分の夢を成し遂げる、自分はその礎となれるんだ、とも言い換えられると思います。その後進たちは自分の弟子や後輩かもしれない、子供かもしれない、はたまたどこかにいる、自分の仕事を見てくれている若者、、、、 自分がダメだったとしてもその意思が何らかの形で受け継がれていくことへの安堵と喜び、自尊心、自身への報われた気持ちがここで初めて表現されます。
聴く人が夜とかにじっくり聴いていると思わず涙が込み上げてくるような歌詞です。救済が訪れる感覚とでも言うのでしょうか、、
変わったのは曲調だけではありません、視点もそれまでは「私」の一人称視点でしたが、この最後のパートは「君の情熱が」と、第三者が主人公に呼びかけているような視点にかわり、ダイナミックに表現されています。
人の人生もこれと似たようなものでしょうか。自分は確かにダメだったかもしれない、でもそんな俺を見て、子供は次の時代へと生を繋いでくれる。そして自分の夢さえ引き継いでくれる可能性だってある。
もう歳をとってしまったり、望む目標への可能性の潰えてしまった者にとって、それはどんなに励ましとなるでしょう。そんなシンプルな事を伝えている歌詞、しかし真に深い絆を伝えた歌詞、これが「光芒」の要旨だと理解しています。
おそらくこの歌詞の真骨頂を若い世代が実感を伴った理解をするのは難しいのかもしれません。
以前放送していた稲葉さんのお父さんへのインタビューでお気に入りのB’zの楽曲はあるかどうか尋ねていましたが、お父さんの回答がまさにこの「光芒」だったと記憶しています。そこには父の背中を見てくれていた息子の成功、そして自身への誇りとしてこの楽曲を感じているのではないかと思いました。
B’z感動シリーズがあるのであれば間違いなくランクインのナンバーではないでしょうか?
次ページはオマケ AerosmithのDream onとの類似点について
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