「おまえ」はさらに呼びかけます、「みんなだってそうだろ? 愛人(新しい恋愛や、新しい夢の比喩)さがしにいきたいだろ? 現状に満足してないんだろ? ぶっ壊せよ、平和に見える日常を。あんたの心が身軽なんだったらそんなところに長居してないでさあ、違う未来を見に行こうぜ。俺がそうしたみたいにさ!」
そう言っているんじゃないでしょうか。上記で記載した「世間を笑うサボテン(=おまえ)」の意味はここに繋がってきます。
つまり「とは言ってみたものの、でもお前ら、俺みたいに全て捨てて逃げ出して他の何かを探す勇気なんて、どうせないんだろ? だったらそのまま同じ場所でずっと同じことやってりゃいいさ!」と、「おまえ」は世間に対しこう嘲笑っています。少なくとも主人公にはそんな風にとれたのかもしれません。
深読みになりますがサボテンの花言葉の一つは「燃える心」。「おまえ」は逃げましたが決して諦めてはいないと取れなくもないでしょう。
もう「おまえ」にはもとの日常に戻るつもりはありません。「いろいろなくしちゃったけど、これでいい。後悔は別にしてないぜ、あっても少な目さ」と言っていますから。また「baby, here we go!」の部分ですが、「Baby(恋人)」に対し「さあ、(一緒)にいくぞ」と呼び掛けているようにもとれます。
また別の解釈になりますが、一番近かった恋人は捨てずに一緒に連れて行こうとしているとも解釈できます。
おわりに!
この歌詞の構図は「主人公」と「おまえ」の2人の視点で紐解く事で上記のように解釈が可能です。
どうでしょう、一人の男の「生き様、彼なりのロマン」を歌った歌だと思いませんか。この歌は平成の始まりに書かれたものですが特に令和の今、彼が希望を失った「先の見えてしまう未来」というものはなくなりつつあり、むしろ「不確実に支配される未来」が到来している気がします。
そういう意味では今の世の中だったら、彼がどこかに逃げ出す必要はなかったのかもしれません。この歌詞が書かれたのは日本経済がかげり始めたとはいえまだまだ力強かった1990年、考えようによっては心の自由というのは経済とは反比例して今よりもずっと少なかったのかもしれませんね。
この解釈はあくまでも数ある解釈のひとつです。1番メロを付き合っていた恋人に逃げられた、とする解釈も一つかと思うんですが、そうするとどうしても全体解釈が難しくなってしまうので止めてしまいました。
ブログ主も個人的には「後悔は少なめのMy life」を標榜しているような人生で、やりたいことはできるだけチャレンジして後悔は最小限しないようにしているので「お前」の心境はすごくわかるなあ、と思っていますね。
さてこの歌を上記の解釈でひとつのメッセージにするならどうなるでしょう、僕は「自由に生きろよ、選択はいつだってお前の心にあるんだから。後悔は少なめで!」という風にとれるでしょうか。ロックな歌詞ですよね、大好きです。
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