楽曲レビュー#3.5 米津玄師/ KICK BACK 歌詞の意味を独自に解釈&解説!

邦楽レビュー

[歌詞続き]

努力 未来 A BEAUTIFUL STAR x 4

2番メロ:4443で外れる炭酸水~

“4443で外れる”のフレーズは初めはどういう意味かさっぱりわからなかったんですが、4443で外れるとは4444、つまり「4合わせ(=シアワセ)」になれなかった数字=「幸せになれない」という言葉遊びですよね。

1番メロからずっと幸せになりたいと歌ってきたのに2番でいきなりそれが叶わない、、、ショッキングです。炭酸水のシュワ―っという感じも、「(努力が)水の泡」って感じと重なりませんか?

別の解釈ですが、4が「死」を意味するとして、死が確定しない(4444とならない)、つまり第一話で生き返ってしまったデンジの状況を表現しているとも取れますね。どっちの解釈も非常にしっくりいってしまいます。米津さんはどういうつもりで作詞したのでしょう?

映画や小説でお目にかかるセリフ、「やまない雨はない」なんてきれいごと、そうかもしれないけどこれ以上濡れたら風邪ひいちまう、その前にとっととお前の傘をよこせよ、ってことでしょうか。

そんな状況と合わせても朝のパンにバターやジャムも塗れないほどの極貧にハングリーをこじらせているのはまさに悪魔になる前のデンジの人生そのもの。そして後半からは欲望が暴走します、そして「幸せになりたい、楽していきたい」それにつづく「全部無茶苦茶にしたい」。

欲しているのに、全くそれが叶う道筋が立たない、人生に詰まってしまった絶望感を感じさせます。

2番サビ:ラッキーで埋め尽くして レストインピースまで行こうぜ~

さて、サンプリング歌詞についてここで考察してみたいと思います。モー娘の「そうだ! We’re ALIVE」の歌詞は正確には以下の通り:

”努力 未来 A BEAUTIFUL STAR
努力 Ah Ha A BEAUTIFUL STAR
努力 前進 A BEAUTIFUL STAR
努力 平和 A BEAUTIFUL STAR”
    引用:作詞作曲 つんく

となっており、KICKBACKの歌詞では「前進」と「平和」が抜け落ちてしまっています。ダークヒーロー(?)的なポジションのチェンソーマンであるデンジには平和や世界のためといった、多くのヒーローが持っていそうな崇高な目標はありません。

極貧生活を送っていた彼には「普通」の生活ができればそれでもう御の字。バターやジャムが塗ってあるパンが食べれる生活と、女の子がいればもう幸せなのです。そこで抜けているデビルハンターとしての大義名分みたいな難しい事については”なんか忘れちゃってんだ”とツッコミをいれているわけですね。

また、この”努力 未来 A BEAUTIFUL STAR”のフレーズの使い方ついて2002年の「そうだ! We’re ALIVE」と2022年現代での「KICKBACK」とでは際立って対照的だということにお気づきでしょうか?

一言で言うなら「そうだ! We’re ALIVE」は本気でその意味の通りに表現しているんですが、「KICKBACK」では皮肉として表現しているように思えます。

努力で求められる夢について、「KICKBACK」「チェンソーマン」の世界では「普通に生きて、普通に死にたい、そして女といちゃいちゃしたい」という極めてまっとうともいえる生活への欲求だけで精一杯になっている2022年現代(作中ではもっと以前の時代設定ですけど)と、それに対し、もっともっと「高い夢」を見ることができた過去である20年前の2002年との残酷な比較を表現しているとも取れます。

モーニング娘の歌詞を眺めていると純粋に「前向きに努力して(それぞれが思い描く)夢や幸せを掴むんだ」というトーンが感じられますし、時代的に実際にそういう余韻がまだあったのが西暦2000年前後というタイミングでした。

それは”努力して道を切り開ければ明るい未来をつかめる・夢は叶う”といったメッセージであったわけですが、米津さんの歌で表現されているメッセージは上記のモーニング娘で表現されている平成の(もっといえば少し昭和的な)ある意味楽観的なメッセージ対する「夢は叶うだ?そんなわけねーだろ」というぶっきらぼうな反論、そしてそれを肯定する強烈な「今」の空気が存在しています。

どうにもならない絶望的な状況にある若者、もっと拡大して言えば令和の日本にまん延する「頑張ってもどこにもいけない、どうにもならない」状況を浮き彫りにしたメッセージとも取れます。

チェンソーマンとなる前のデンジは父親の借金を返すために、廃屋で生活し所有物はほとんど何もない極貧生活に加え、自分の腎臓や目も売ってしまうという信じられないくらいの「(生きる事に対する)努力」をしていますが、結局何か報われたでしょうか。その先にあったのは理不尽な裏切りと死でした。

そんな生き様に対して何が”努力 未来 A BEAUTIFUL STAR”なのでしょう? 皮肉以外の何物でもないと思いませんか?

デンジの場合はちょっと悲惨すぎと言えますが、今の日本の縮図を思い切り描いているようです。親の世代の借金を負わされて粛々とそれを支払わされる子供たち。作者もアニメ制作陣も見事なまでに現代の日本の苦しさを表現しているように感じます。

良い子だけ迎える天国じゃ どうも生きらんない”というフレーズも、”生まれ落ちた境遇が悪けりゃ悪い子になって、そして最終地点は地獄なのかよ?”というような裏のメッセージが見え隠れしているように見えます。

間奏:ハッピー ラッキー こんにちはベイビー
良い子でいたい (あなたの未来) そりゃつまらない~


努力 未来 A BEAUTIFUL STAR x4 
  KICK BACK /作詞作曲:米津玄師

少し前の日本では”努力すれば夢は叶う”とは”努力次第で未来は素晴らしいものになる”とか、大真面目に言われていました(いや、今でも条件次第ではその通りでしょう、少なくとも成功のためにはいつの世も努力は必要不可欠です)。

もっとも努力ができるかどうかも才能の内だということはハーバード大学のマイケル・サンデル教授の研究などからも明らかになってきているようで「努力できるかどうかも遺伝によります」というのが事実だと言われてしまえばもう何をやっても無駄という事になってしまいます。

仮に努力できるかは遺伝ではなく純粋にその人の次第、というふうに仮定しても、一部においてはもはや努力だけではどうにもならないくらい貧富の差がつきすぎてしまった、それは日本に限らず多くの国で起こっている事実です。

努力しなくても金、コネ、運、ルックスなどであっさり目標が達成されてしまう事が起こりうる、という事を考えれば主人公デンジの状況は完全なる貧乏くじということになります。

そもそも極貧過ぎてまず真っ当な人生目標を見いだせない、見いだせたとしても方法や見通しを立てられないし、そこにたどり着くための知識を得ることもできず間違った方向に進み続けてしまう。その果てに自分の体を切り売りするという境地、、、、

ここまで極端なのはマンガだからだよ、としても「努力 未来 A BEAUTIFUL STAR」という輝かしいフレーズの裏にはスタートラインにさえ立てない人々がいることは当然オリジナルのモーニング娘では示唆されません。そこを敢えて皮肉として浮きだたせたのが米津玄師の技なのではないかと思うんです。

そしてそんな理不尽を背負って生まれたヒーローが”チェンソーマン”。作品が大人気となった背景はそのデンジの生い立ちに根差した、そして共感するファンの声があるのは間違いないと思います。

米津さんの「努力 未来 A BEAUTIFUL STAR」を歌うトーンや曲の雰囲気、それらは完全にモー娘が歌うそれや、フレーズ自体の意味とは真逆の方向です。でもそうでなければ”チェンソーマン”の歌とはなり得ないんじゃないでしょうか。僕はつんく氏に「才能の塊とは恐ろしい」とまで言わしめた理由はこのあたりにあると考察しています。

そしてチェンソーマンのビジュアルですがこれは正義のヒーローというよりも敵の怪人側ですよね、、、 頭からチェンソー出てるし。

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